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鈴木大地長官が、オリンピックのメダルの数の目標を

オリンピックのメダルの数の目標を新しくスポーツ長官になった鈴木大地さんが

述べていた。

オリンピックの目標は、自国のメダルの数の最大化、なのだろうか?

最近話題のラグビーは、日本代表とは言っても、外国の方ばかりのようだ。

ああなると、そもそも、「国って何だ?」とか、「日本代表ってなんだ?」とか

思ってしまう。

私が大学の頃は、同じラグビーで、大東大が、「そろばん留学」(本当かどうか?

分からないけれど)の外人を確保して、ラグビーを強化していて、一部の非難を

浴びていたように思う。

オリンピックも競技によって「日本代表」の定義が違ったり、ひょっとすると、

出場不可の「プロ」の定義が違ったりするのかもしれない。なんだかわかりにくい。

メダルの数を目標にする、と聞くと、どうしても、近所の高校のことを考えてしまう。

高校野球、サッカー、バスケなどと同じにならないか?

近所「佐久」の某高校は、日本中からいろんな競技の子供を集めている。

長野県代表と言っても、実際には、各地から集められた子供達だ。

地区大会などは、なんだか見ていて馬鹿馬鹿しい感じがする。(地区の子じゃないから)

当然、大会の時にも、近隣の人たちに応援されにくい。

売名、営業の為に集められたと言うことはみんな、高校生だって分かっている

からだ。

もちろん、よりハイレベルな競技環境に身を置きたい、と言う子もいるだろう。

というか、通う子供はそうなのだと思う。でも、基本的には、コストをかけて

全国から競技にあった子供を集めるのは、学校の営業の為だ。他の普通の子供達が

そのコストを負担しているのだ。

オリンピックは金次第、で良いのか?

金メダルの数を競う、と言う発想になると最終的には、「金次第」になるのだと

思う。お金をかけて選手を集め、強化する国が、メダルをたくさん確保するのだ。

某大新聞社がバックのプロ野球球団と同じだ。そうなったらつまらない。それで良いのか?

金次第を防ぐために、NBAは「サラリーキャップ」制度をとっている

金持ちの球団だけが強くなったのではつまらないので、バスケNBAには「サラリーキャップ」

制度がある。(日本のBJリーグにもあったが意味合いが違うと思う)

効果についての議論はあるかもしれないけれど、「金にものを言わせてどこか1球団だけ

強くなるとつまらない」という意識があることを制度の存在が物語っている。

今はなんとなく、「スポーツの美しさ」に隠れているけれど、

基本的には「もっとお金をよこせ」「もっと設備を充実させろ」みたいな話に

収束していくだろう。スポーツ選手が「政治家になったら」うさんくさく見えるように

なった例が、目立つ気がする。(スピードスケートの人とか柔道の人とか)

実は金メダルの数は、福祉とトレードオフされるのだ!

国が使えるお金は決まっているから、金メダル獲得の為にお金を使うことは、

それ以外に使うお金を減らす事を意味するのだ。「福祉を減らしている訳ではない」

と言うかもしれないが、福祉に使う事の可能なお金を「金メダル獲得」のために

使っていることは確かだ。鈴木大地さんはそれで良いと思っているのか?

鈴木大地さんは「原監督」になりたいのか?

オリンピックにも別の改革が必要なのかもしれない

そもそも「国」を競わせる(そういう発想ではもともとは、ない、のかも知れないけれど)

状態になっている今のオリンピックは限界ではないか?

平和の祭典というのなら、たとえば、「アジア地区」で、何らかの制度を作って、

メダル確保の為には、「弱い国」の底上げを促す仕組みを作るとか?、自分たちが

勝ちたかったら、他の国を強化せざるを得ない仕組みにするとか?

そういう競技があっても良いと思う。